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カタカムナとマニ教の霊統


以前から「カタカムナはマニ教の霊統だ」と考えていました。 シュタイナーが「悪の秘儀」の中で語るところによれば、 マニ教の本質は、現代の通説に捉えられている「光と闇の永遠の葛藤」 などではありません。マニ教は、我々人類の遠い未来、、、とはいっても 今から約5800年後の話ですから、そんなに遠いわけではありませんが、 未来において、霊的な必然性において生まれながらにして悪の性質を 持つ人々が存在しはじめるという認識に基づいています。

マニ教を考察するには、その背景にある当時の西アジアの歴史を 振り返らなければなりません。当時、キリストが生まれた西暦0年を境に して、それ以前の3000年は当時アジアの地に物理的な身体をもって 受肉した一人のルシファー的存在の影響力がありました。 西洋の歴史が始まって以後3000年後には、一人の人間に、 今度は憑依の形でアーリマンの影響が受肉します。 我々に近い歴史のスパンで西暦0年を観察してみますと、 その前後それぞれ666年において、人類の歴史の中に意識の大きな 転換期が見られます。前666年から西暦0年にかけては、 孔子や仏陀、ソクラテスなどが導いたルシファー的な世界観からの 脱出の物語があります。後666年は、当時の地球上のあらゆるところで、 全体主義的な社会構成から統一権力への集約が起こっています。 日本では、ちょうど大化の改新の時代です。日本ではこの頃に、 土着の豪族が外来の勢力に制圧されました。パレスチナに目を向けますと、 そこには新プラトン主義からストア学派へと受け継がれる系譜が、 マホメッドによる突如のアッラーの霊統が出現することによって、 前者の未来が閉ざされました。シュタイナーによれば、当時、 ゴンディシャプールの地には身の毛もよだつような霊的な知識が 教えられていました。それがアーリマンさながら唯物史観をもっと 黒魔術的に人間の霊性に統一しようとするアスラ(ソラト=この存在の ことをシュタイナーは「太陽悪魔」と呼んでいます)の霊譜です。 簡単にこの本質を要約するとこうなります:
人間の個体性は、集団において上層から統合されるべく 末端細胞として振舞うに過ぎない。人間が発揮できる能力は 肉体をとおして子孫に引き渡されていく遺伝子の振る舞いの範囲に おいてであり、個を消滅させ、冷徹な思考によって物理の法則に 介入するならば、人間は知性をもって物質的世界を操作できる 驚くべき素質を持っている
・・・といったようなことでした。 もしゴンディシャプールの霊統がつづいたならば、 我々は小説「1984年」(でしたっけ)のような統一政党による 人類の家畜化が実現していたはずです。 マホメッドのイスラム教の出現により、これが阻止されました。

しかしソラトの脅威は、我々があと二つの文化期を経験した後、 次の根源人種期に突入したときに再び現れてきます。 一つの文化期は、黄道十二宮のそれぞれにおける春分点を太陽が 通過する2600年の周期がありますから、我々の文化期の 残り600年と、次の二つの文化期2600x2=5200を 加算した5800年後の世界です。シュタイナーによれば、 この時期、我々はキリスト原理とともに、それまで温存されて きたマニ教の伝統が必要となります。人類は、それぞれの個体の 進化を通して個人の体験を刻印してきたエーテル体の性質により、 この頃に受肉する人々は、生まれながらにして善である者、 生まれながらにして悪である者の二つの種類に分かれるように なるといいます。ここで生じる悪の根は、霊的な進化の必然性から 表出するものです。ここで大切なのは、生まれながらにして 悪である者たちを、善へと転換することで、人類がいままで 経験してきたことのない善が誕生するということです。 マニ教の伝統は、この遠い未来の状況に備えて伝えられてきました。 現代においてはこの重要性が日の目を見ることはありませんが、 マニ教は、未来の世界が善と悪に「物理的」に隔離された状態に 移行することを予見し、その伝統は、生まれながらの悪を善に 統合する手段を、人類の中に少しずつ育成しています。

私は冒頭でカタカムナとマニ教の類似性を提示しました。 マニ教の秘儀にはこうあります:
知性は人間性の尊厳を第一に考慮するならば、 超・知性となるだろう。この時代の思考形式とは 全く性質を異にする知性が誕生するだろう。 これには、人間の感覚によって外界から得る現実的な認識力と、 内部から生じる霊的な必然性が統合されることが必要であり、 これによりソラトの黒魔術的な知性の怪物を打ち負かすことが できるのだ。
これが、マニ教における「光と闇の対決」の本質です。 真実の光に至るためには、目覚めた現実的な「知性」によって、 また霊性が普遍的な法則にまで高められた「愛」によって、 この二つをよく知り、統合しなければならないということです。 ここで、私はマニ教とカタカムナの類似性を見出していました。

つい最近、あるカタカムナを実践され、 私にその方法論を伝授していただいているお方に出会いました。 その方と出会う前後の時空において、 私は「フトマニ」の意味を少しずつ解釈していました。 「フトマニ」とは、「フ」タツを「ト」ウゴウし、 「マ」のうちに「ニ」(定着)させる、ということです。 ここで、私はマニ教が「フト」を目指していることに気づき、 そのことを再確認いたしました。 ただ、ルシファーとアーリマンを使い魔とするほどに 強力な太陽悪魔・「ソラト」については、 私はこの時代に生きる人間の理解力の限界から、 まだこの意義を把握できそうにありません。


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